食料自給率とかいう危機感を煽るのに使われがちな謎指標

「日本の食料自給率はひ・く・す・ぎ・る!」(米倉涼子風)

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という主張をよく見かけるようになりました

小学校か中学校のときの社会科の教科書にも社会問題の一つに日本の食料自給率が低いということが書かれていた記憶があります

2022年の日本の食料自給率はカロリーベースで38%。なんと、わたしたちが食べている食べ物の半分以上は海外で作られたものだったのです!!!

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……と、大見得を切りましたが、これって何か問題なのでしょうか? 人体は今まで食べてきたもので構成されているはずですから、国産の食料を食べていないと純粋な日本人にはなれない…ってコト!?

冗談はさておき、食料自給率が低いことの問題としてよく言われているのが、「輸入ができなくなったときに困る」というものです。教科書にもそんなことが書かれていました。農林水産省のページにも、ほら

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自給率が38%ということは62%の食料(カロリー)を海外からの輸入に頼っているということになります。現在は安定的に輸入が出来ていますが、未来永劫大丈夫だと言い切れるでしょうか?

要するに食料を輸入に頼っていると何かがきっかけでそれができなくなったときに国内で食料が調達できないのでどうしようもなくなってしまうというリスクがあるという主張です。人は食料がないと生きていけないので、食料の供給が止まる=死です。「食料こそ最後の砦。死にたくなければ鍬を取れ!」というわけですね

この主張を聞く度にいっつも思うのは、「輸入ができなくなる事態ってどういう事態を想定しているんだろう?」という疑問です

農林水産省の上述のページでは輸入先の政情の悪化や異常気象、禁輸措置が取られるなどが例に挙げられています

でも、これらって自分が知る限りでは戦後の日本では一度も起きていないんですよね。いや、「起きてはいるが輸入がストップするほど深刻なものはない」が正確かもしれません

買ってくれるやつがいるのに売らないなんて、相当な理由がない限りまずしません。食べ物は放っておいたら腐って商品価値が0円になってしまいますので頭を下げてでも早く売りつけたいのが生産者の事情なはずです

新型コロナウイルスは全世界を巻き込んだ大規模な災禍でしたが、日本の食料事情には打撃を与えませんでした。食料の価格が高騰したことはありましたが、致命的な値上げにはならず、値上げによる飢餓は発生しませんでした。そもそも外国産のものより国産の食料の方が値段が高い傾向はそのままだったし

食料を全く輸入できなくなる事態があるとするならば、「あらゆる国と国交を断絶されて日本が孤立する」あるいは「全ての海路、空路が使用不可能になる」という食糧問題を気にしている場合以前の外交問題が発生したときです

「すべての国から国交を断絶させられる」という事態はどのような行動を取れば起きるのでしょう? 国家主導で国内の外国人を片っ端から殺すとかの北センチネル島じみた方針を取らない限り、こんな事態にはなりません

「海路や空路が断たれる」というのは要するにどこかの国と戦争状態に陥った状態のことを指しますが島国である日本が海路や空路を断たれる=勝ち目がなくなった状態=敗北なので、このような状態が続くこと事態がおかしいです。すでに負けているのに戦争を継続しても日本にメリットがないからです

「輸入ができなくなったら」論で食料自給率問題を語るのは大いに結構なのですが、だとすればその「輸入ができなくなったら」の状態がどれくらいの確率で起きるのかの試算を出さなければ話し合いにならないのではと思います

「もしも……」なんて考え始めたら、そもそも「地上が汚染されて使用不可になったら生きていけないから国民全員の住居となる地下シェルターを建設することが喫緊の課題だ!」なんて主張も正当化されてしまいます。それが行われていないのは地上が汚染されるという想定が起こりにくい割に、地下シェルターを作るという作業に大きなコストがかかるからです

そもそも、輸入で食料を確保することには大きなメリットもあります

一つは全世界のあらゆる地域から食料を確保することができるので、特定の地域の状況に依存しない食料の確保ができるということ。例えば、アジアで壊滅的な不作が起きたとしても、アメリカ大陸で余っている食料を買うことができます。これはリスクの分散を意味するので、安定した食料供給を行うために輸入は役立っているといえます。国内の食料のみにこだわりすると「国内の土地」にリスクを集中させるようなものですから国内の災害に必要以上にリスクを背負うことになります

二つ目は自分で生産するのに比べて量のコントロールがしやすいということ。生産者はできるだけ多くの製品を作ろうとしますが、市場の需要がそれに見合っただけあるかどうかは誰にもわかりません。例えば、お米をいっぱい生産したとしてもパンを食べたい人がいっぱいいる状態だと、お米が売れ残ってしまいます。国内全体で利益の最大化を図るためには、田んぼを小麦畑に転換する必要がありますが、作る作物を変えることはいうほど簡単ではありません。せっかく小麦畑をいっぱい作ったのにそのときには空前の米ブームが来てしまっていたというトホホな展開もあるかもしれませんね

直近だと牛乳の原料となる生乳の生産で同じような問題が発生しました

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一方、輸入は基本的に交換を前提としていますから、払った金額だけ食料が届きます。これなら必要な食料を需要に合わせて必要な分だけ取り入れることができます

三つ目は労働者を食料以外のより高度な製品、サービスの生産に従事させることができる点。例えば、1年でりんご1000kg生産していた人がいたとします。ある工場では1人あたり1年でりんご2000kg分の値段をまかなえる製品を作っていたとすれば、りんごを生産していた人をその工場で働かせれば果樹園で働いていたときより年間で2倍の富を生産できることになります。とはいえ食料の需要が変わるわけではないので誰かが減ってしまったりんご1000kgを生産しなければいけません。食料輸入を使えば、りんご2000kg分の富の半分を使って、りんご1000kgを外から引っ張ってくることができます(国内と国外のりんごで値段が同じという前提とさせてください)。残ったりんご1000kg分の富は丸儲けですね。このようにして、輸入を活用して単純に食料を生産するより結果的に多くの食料と交換できるものを作ることが可能になるのです

話が壮大になってきたのでそろそろまとめにかかるのですが、食料自給率に関して自分が思うのは「この数値、必要以上に重視されていないか?」ということです。とくに「100%なければいけないんだ!」という主張はちょっと大げさすぎます。農林水産省が目標に掲げている数値が「2030年までに45%」ですから頭のいい官僚たちも別に100%は必要じゃないと判断しているのです。そのことを考慮すると「38%」が現在の日本の食料自給率ですが、別に悲観するほど低くはないですね。今は2023年ですから2030年まで1年で1%ずつ上げていけば数値目標は達成できます

食料自給率が低いといざというときに国民が飢えで苦しむという風説がまことしやかに囁かれますが、実際のところそれは飛行機の墜落に怯えるようなものではないでしょうか

そもそも個人単位で見てみれば農業やっている人以外の食料自給率はほぼ0%ですよね。街にはスーパーやコンビニがありますから、自給率がいくら低くでも食べ物に困ることはありません。自分で田んぼや畑を持っていないからといって「自給自足」できていないと評価されることは珍しいと思います。自分で稼いだお金で生活できていれば、「自給自足」ですね

ということは、下がってしまうと致命的な指標というのは「食料自給率」ではなく「食料供給率」なのです。ただし、これは現在の日本では100%を超えているために目標に掲げる指標としては物足りません。「食料供給率100%の維持を目指します!!」はインパクトに欠けます。「当たり前じゃん」とツッコまれるかもしれません

食料自給率は目標に掲げられる何か良さそうな指標を農林水産省が探したときにたまたま発見しただけの数値なのかもしれません。邪推かな?