スマホの写真見返してたら、かなり芸術点高めのラーメンの写真ありました。
なんていうか、見た瞬間に頭の中が「あっ、ラーメン!」ってなる感じです。よく盛り付けられていますよね。この写真見たらラーメン食べたくなってきました。
写真のラーメンは幸楽苑で食べた㐂伝ラーメンです(親バカかもしれませんが、宣材写真よりうまくとれていませんか!?)。
幸楽苑曰く、㐂伝ラーメンは「幻のラーメン」らしいですが、全国に400店舗以上あるお店で提供されているはずの商品を「幻」として売り出すのはいかがなものでしょうか。近所から徒歩10分の地点で提供されている幻はたったの580円でした。
ところで、"㐂伝"の"㐂"ってどういう意味なのでしょうか。
調べてみると、「喜」の異体字なんだとか。「喜伝ラーメン」と同じってことですね。送り仮名をつけて、そのまま「㐂ぶ(よろこぶ)」と読むこともできちゃうみたいです。
なんで"㐂"が喜ぶなのか? もしかして、7が3つだからラッキーってコト……!? 実際は単に「喜」を崩して書いたときにそうなっちゃっただけらしいです。あんまり納得いかないですけど、それ以外の説明がなかったのでひとまず納得しておきます。
思うに、ラーメンって「味が命」みたいな顔しておきながら、ちゃっかり見た目を重視している軟派な食べ物なんじゃないかと疑っています。「へい、おまち!」って言われて机にラーメン杯が乗っけられた時が感情の高ぶりのピークで、そのあとの食べる工程は作業……みたいな。
ラーメンの味ってどこまでいってもラーメンなんですよね。当然ですけど。
ゆえに食べた後の後悔がでかいのもラーメンの特徴です。
食べる前は後光を発しているように見えたあのどんぶりも一口食べた後にはカップラーメンの発泡スチロールに見えてきます。空腹に煽られた愚かな自分は湯気の中で正気を取り戻すのです。「ああ、そうだ。ラーメンってこんな感じの料理だよな」
そして、食べ終わるころには「俺が食ったのって要するに油の海に沈んだ小麦なのでは……?」という絶望感に駆られます。不必要にカロリー高いですし、何よりたんぱく質全盛の今の時代にチャーシューぐらいしかたんぱく質要員がいないのは痛手です。ラーメンを食べた後に虚無感を覚えるのは自分だけでしょうか。
麺を食べ終わるとスープが鏡のように透き通って罪人である自分の顔が浮かび上がる「自虐ラーメン」なんてあったら流行るんじゃないでしょうか。もしくは、スープをすべて飲み干すとどんぶりの底が鏡になっていて、食い意地を張ってしまった卑しい自分の姿が否応なしにさらされる「プギャーラーメン」。……ラーメンの可能性は無限大!
なんてことを書いていると、気づかないうちに体がラーメンを欲しているのです。食べたらきっと後悔するんだろうなぁと思いつつ。