牛角「女性半額キャンペーン」の炎上に覚える違和感 そもそもマーケティングやブランディングって差別的なものでは?

牛角が炎上しています

きっかけは2024/09/02~2024/09/12まで実施予定の焼き肉食べ放題のキャンペーン

https://www.gyukaku.ne.jp/pdf/release_20240830.pdf

(画像はPDFの内容を一部スクリーンショットで保存したものです)

国内有名焼き肉チェーン店である「牛角」を運営している株式会社レインズインターナショナルは「TOKYO GIRLS COLLECTION」への出展を記念してアプリ会員向けに一部の曜日、事前予約者限定で焼き肉食べ放題プランの半額キャンペーンを発表しました

それだけだったら問題はないのですが、問題となったのはその条件。「女性のみ」という部分です

「女性のみ半額で焼き肉が食べられるなんてずるい!」「男性差別だ!」という声がSNSを中心に盛り上がり、お肉を楽しく焼いていただけの牛角がSNSの力で焼き肉にされてしまうという皮肉な展開になりました

この騒動を聞いたとき、自分は「しょうもない炎上事件だな」と思いました。「女性優遇」のキャンペーンであるのは明らかですが男性の食べ放題の値段が不当に釣り上げられているわけではないので、許容範囲内だと思ったからです。たった十数日間だけ焼き肉の値段が下がるキャンペーンに不満を抱く人達の気持ちがよくわかりませんでした

このキャンペーンが「差別的か」と言われれば「差別的な内容を含んでいる」のは間違いないでしょう。プレスリリースによると女性が優遇される理由は牛角が「TOKYO GIRLS COLLECTION」に出展したことと食べ放題の注文量が男性より女性の方が平均して4皿少ないというものです。女性が中心となる有名なイベントに牛角が参加したことと女性客の焼き肉が半額になることに論理的なつながりはありません。これは不合理なので「区別ではなく差別である」と主張することは最もだと思います(一方で、女性の方が注文料が少ないことが統計的にわかっているから安くするという主張に関してはある程度合理性があります)

だけど、牛角を運営している株式会社レインズインターナショナルは税金を原資に運営されている公共機関ではないのだからそのキャンペーンが差別的なものであろうと「経済活動の自由」が優先されるのでは、と思います

世の中には様々な割引のキャンペーンが存在します。卑近な例ですが、最近自宅のポストに「30歳以下の新規会員様は2ヶ月間半額でジムをご利用いただけます」というキャンペーンのチラシが投函されていました。30歳以下と30より上の人間に質的な差異などありません。ジムの運営会社が決めた30というボーダーラインは恣意的なものであり、合理的な根拠はないのだから30以下の年齢とそれを超える年齢の会員で金額を分けるのは「年齢差別」です

このようなことは企業のマーケティング戦略全般に言えます。一般的に企業は営業利益を拡大するために、自社の利益を拡大してくれそうな客層に向けてマーケティング/ブランディングを行います。例えば、自社の製品を買ってくれる人の属性に「30代」「主婦」「女性」という属性を持つ客が多いのであれば、広告に起用するキャストに同じような属性を持つモデルを起用する、などです

その製品を気に入って買っていた「50代」「独身」「男性」のユーザーは、CMのモデルに自分と同じような人物を起用すべきだと主張する権利はあるでしょうか。もちろん、あります。ただし、企業がその提案を受け入れてくれなかったとしてもそれは何ら問題がありません(逆に損をするとわかっていながらすべての人の意見を平等に聞いてしまうと経営陣が株主に対して背任行為をしていると問題となってしまうでしょう)

企業は日々、自社の製品をどのようなお客さんが利用しているのか顧客の情報を収集しています。今現在の「強み」の市場でシェアを拡大したければ、よく利用してくれるユーザーの持つ属性の人々にメリットがあるようなキャンペーンを行います。一方で新たな客層を取り入れたければ自社が今まで獲得できていなかった属性の人々に対してリーチするようなキャンペーンを行うのが定石です。これらの施策はどちらも差別的です。しかし、企業は自社の製品をどのように育てていくかをコントロールする権利を持っているのですから、不当に行われたキャンペーンだとは言えないです

そもそも、すべてのユーザーに「平等」となるようにキャンペーンを行ったところで何の差別化もできないわけですから、何もやっていないのと同じ状態になります

ゆえに、今回の牛角のキャンペーンも目くじらたてるほどじゃないと思います。一方で、このような反論もあります

news.yahoo.co.jp

上の記事では、これまで自分が主張してきた「経済活動の自由」に対する反論が掲載されています。その部分を抜粋すると

「私企業の経済活動の自由」の観点から「男性差別だ!」という声を批判する(3)は一見してもっともらしい。個人的には同意したいところだ。だが営利企業の経済活動の自由であっても、いままでSNSでは、女性が「不快感を抱いた」ということを根拠に「女性差別」「女性蔑視」と騒ぎ立て、話のスケールをいくらでも大きくして炎上させ、企業のキャンペーンや広告宣伝を取り下げさせてきたのだから、今回だけ都合よく例外視するのは筋が通らない。

要するに、これまで「女性の権利を主張してきた活動家の人々(≒フェミニスト)」が同じような活動をしてきたのだから、「男性もそれをやって何が悪いのか」という意見です

このような意見は論理的に倒錯しています。フェミニストがやっていることを「過激だ」と批判しつつ、一方で自分が実行する立場になると批判していた属性の人たちを引き合いに「あいつらもやっているから自分もやっていいはずだろ」と立場を変えます

女性活動家の行為を批判するならば、今回の(主に男性が主導したと思われる)よくわからない圧力のかけ方にも批判するべきでしょう。それか、今回の牛角騒動の主張は最もなのだから、過去に女性活動家が実行してきたいくつものキャンセル騒動も理に適ったものだったと認めるか、どちらかです

続く文章では牛角のキャンペーンを認容している人とポリティカル・コレクトネス(政治的な正しさ)を推進してきた人が同一であるという憶測を元に(本当か?)、牛角の差別的なキャンペーンを認めるのであればこれまで行ってきたポリコレの活動は何だったのか、と疑問を呈しています

なんだか要領を得ない反論ですが、牛角が行ったような「ちょっぴり差別的」なキャンペーンをポリコレが主張するダイバーシティの中に組み込めば矛盾はなくなるのではないでしょうか。そもそも、この牛角のキャンペーンは適切かどうかを話し合っている段階で、政治的な正しさ側に「牛角のキャンペーン反対」を位置づける仮定の根拠がよくわかりません

最後の批判は、米国のカルフォルニア州やニューヨーク州で司法が下した『性別による価格差は、有害な固定観念を強化する』という判断を元に、グローバル的な視点では日本は遅れている、といういい加減食傷気味の出羽守理論が展開されています

海外の基準がどうであろうと、日本国内の基準をそれに一致させる必要はありませんし、カルフォルニア州やニューヨーク州という特定の地域を「グローバル」と表現する「リベラル中心主義」的な考え方が受け入れられません。こういう人たちにとって欧米諸国以外の地域――アフリカの国々や中東諸国は「世界」の一員ではないのでしょう。自分たちの意見と違うものは「見えない/存在しない/仲間とは認めない」という許容できない部類の差別的な考えが透けて見えます

批判に対する反論からもとに戻って自分の主張に戻ります。単純に「経済活動の自由」という観点から牛角のキャンペーンは擁護できるものだと思います

反対意見の中には「牛角の一見は些細な差別だが、これを認めると、後々もっとひどい差別の温床になる」という意見もありました

これは「滑りやすい坂の議論」と呼ばれる論法を使って恐怖を煽っているだけです。牛角の食べ放題が女性のみ半額になることと男性たちの社会的地位が不当に貶められ、女性から虐げられることの間に必然性があるとは思えません「牛角の半額キャンペーンは認めるが、男性が女性から不当に奪われている権利(親権とか)を取り戻すことには賛成」というポジションに立つことは全然むずかしくないですし、なんら矛盾していません

オリンピックの公平さ問題でも感じたことですが、直近のSNSで起きている炎上問題の根底には「純粋な社会」を望む潔癖主義的な考えがあるのではないでしょうか

shigorox.net

何の偏見もない社会というのは、「判断の存在しない」社会です。「30歳」と聞いたときにそれを若いか年老いているかを判断するとき、必ず一度は何かしらの価値観を経由します。10代の人からしてみれば「老人」かもしれませんが、70代の人からしてみれば「若造」です

「社会の平均値を使えば公平だ」と考えるかもしれませんが、そのとき社会とは何でしょうか? 国、都道府県、それとも世界? どれが正しいのでしょうか。人間とそれ以外の生物の区別はつけたほうがいいでしょうか。生物と無生物のあいだの違いはどうしましょう

一見偏見を含まないで判断できそうなものでも、それが判断である限りは必ず偏見を経由します。「30歳」という情報からは「30歳」という帰結しか生まれず、それをそのまま価値につなげることは不可能だからです

だとすれば、差別が存在したとしてもそれが被差別者に深刻な危害を加えるものでなければ、特定の差別について、それを差別だと認識しながらも許容していくのが現実的な路線だと考えます。郷土愛や恋愛、職業選択や宗教信仰など、人間の考え方は根源的に差別的です

ここで考えなければいけないのは、牛角のキャンペーンで男性のどのような権利が奪われたかということです。それは「牛角の焼き肉の食べ放題を半額で食べる」という権利です

……この権利って経済活動の自由を萎縮させるほど重要な権利なの?

「男性にも半額キャンペーンきてほしい!」と願う男性諸氏はまずは牛角の食べ放題で食べるお皿を4皿減らす運動を広めることから実践してみてはいかがでしょうか