やす子ハムスター説 なぜそこまでして走らせたいのか……

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8/31日現在全国日本テレビ系列で「24時間テレビ」が放映中です。「24時間テレビ」は1978年から続く長寿番組で毎年夏の終わりに生放送を交えながら24時間ぶっ続けで放送されることで知られています

今年のサブタイトルは「愛は地球を救うのか?」。昨年発覚したテレビ局員による寄付金着服事件を受けて、「愛は地球を救う」から疑問形に置き換わり少し謙虚になりました。反省するってそうことじゃないと思うんだけど……

この24時間テレビの目玉の企画が「チャリティーマラソン」です。テレビ局によって選出された芸能人が、番組が放映されている最中に長距離を走り続けるというものです

今年のランナーはお笑い芸人の「やす子」さんです。人気絶頂の芸人さんですし、体力のいる仕事である自衛官の経験のある方ですし、この選出に疑問を感じる人はあまりいないでしょう

しかし、番組放映直前になって問題が起きました。台風10号が日本列島に接近している影響で放映予定日の8/31~9/1に大雨が降ることが予報されているのです

大雨の中のマラソンは走者や関係者に大きな負担を強いるものですから、企画を主催している日本テレビはマラソンを実行するか中止するかの判断を迫られました

結果として、日本テレビは予定通りマラソンを行うことを決断しました。理由は「やすこさんがマラソンを行うことを強く希望している」からだそうです

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 台風が接近してもマラソン決行を模索するのは、やす子本人の強い希望のようだ。

 今年の「24時間テレビ」ではこれまでのチャリティー募金だけでなく、「マラソン児童養護施設募金」が開設された。これには、やす子が高校生の時、世話になった児童養護施設を世間により知ってもらいたいとの本人の意向がある。日テレ局員の話。

「やす子さんがこれまでのマラソンランナーと違うのは、福祉への思いがより強いこと。台風が接近しようが走る気満々で、皇居(東京・千代田区)周辺で熱心に練習を重ねてきました。『24時間テレビ』側はその思いをくみ、実施の方向で調整しました」

記事では「やす子さんの希望」でマラソンが行われると書かれていますが、「24時間テレビ」というあまたの人員と予算を使って行われるイベントを実行するテレビ局がお笑い芸人一人の意向でこんなにも大きな企画を行うか行わないかを判断するはずがありません。やす子さんが「マラソンではなく、トライアスロンがいい!」と強い希望を示したらテレビ局は企画を変えたのでしょうか? おそらく変えないでしょう。なぜなら、企画が変われば追加での人員が必要になるからです。人員や予算の権限を握っているのは芸能人側ではなくテレビ局側ですから、出演者がどんなにごねようと、最終的な判断を行うのはテレビ局です。

テレビ局が「OK」しなければ企画の遂行はできないのに、あたかも芸能人が願えば企画を続行できるかのように書かれている上記の記事の内容はテレビ局側が責任を逃れるための言い訳に過ぎないと感じます

やす子さんは「24時間テレビ」のためにトレーニングを積んできたのは確かでしょうし、その努力を無駄にしないためにも「走りたい」と希望するのは当然です。怪我をしているオリンピック選手に「オリンピック出場、辞めちゃう?」と監督が聞いたとして出場を辞退する選手がどれくらいいるでしょうか。加えて、芸能人に関しては一度仕事を拒めば「それ以降の仕事に影響するかもしれない」というテレビ局と出演者側の力関係の差異もあります。本人の意向がどうこうではなく、主催者側が客観的な目線で安全かどうかを判断するべきです

しかし、日本テレビ側も無策ではありませんでした。安全面を配慮して、外で走らせる予定だったチャリティーマラソンのコースを日産スタジアムのトラックに変更しました

TVerを使って「24時間テレビ」を見てみると、確かにスタジアムのトラックをやす子さんが走っています。番組が放映されている間、延々とトラックを回るやす子さん。こんなことをいうと不愉快になる方もいるかもしれないということを承知でいいますが、面白くて笑いました

こんなハムスターみたいなことをさせられているのを見て、視聴者は何を思えばいいのでしょうか。「チャリティーマラソンをする」ということが自己目的化していて、テレビ局員の方々も自分たちが何をやっているのか理解していないような気がします。どうしてスタジアムをぐるぐる走ることが募金につながるのか、意味不明です(そもそも、外で行ったとしてそれは変わりないですが)。テレビ局員たちの自己満足と老人たちの暇つぶしのために走らされる若者を見る会。この世の理不尽を凝縮させたかのような絵面です

「24時間テレビ」が全く無意味だと主張するつもりはありません。昨年、募金の着服事件が発覚したといえども、全額着服されていたわけではありませんから、「24時間テレビ」の「収益」が少なからず福祉団体に配分されているのは事実だと思います。その意味で「24時間テレビ」には社会的な意義があると言えます

しかし、テレビ局側の「実際の思惑」は「チャリティー」を免罪符にして視聴者を巻き込んで大型の企画を実行したいという自己顕示欲にあると感じます。他人が意味もなく頑張る姿を見せて感動を誘うのは「やり方が古い」と思ってしまうのは自分だけではないはずです