「あんた、そんなに政治の話、好きだっけ?」 車の運転中に母に言われた言葉にはっとしました
ここ最近の自分のブログの記事を見ると、政治の話が多いです。衆議院選挙の話、アメリカ大統領選挙の話、国民民主党の話……
確かに、最近の自分は政治について考えていることが多かったです。もちろん、2024年が選挙イヤーであることもその理由の一つだとは思います。しかし、それだけが原因ではないと感じます
スマホの画面にはいつもSNSのタイムライン。Xでは今日も当たり前のように政治の話題が飛び交っています。そういえば、最近SNSを見ている時間が長いな、と気づきました
もともと、自分はそんなに政治に興味を持っている人間ではありませんでした。というか大学生ぐらいの頃までは政治に無関心であることを誇っているフシがありました。政治に興味がないことが一種のステータス、みたいな……
2010年代ごろまでのネットの空気感もそんな感じでした(自分の記憶が正しければですが)。政治の話題をする人間は例え匿名でも「めんどくせーやつ」と認識されて、「はいはい」と軽くあしらわれるのが通例だったと覚えています
しかしながら、なんか今のSNSって政治の話をするのが当たり前になっていませんか。それともSNSにはフィルタリングバブルがあるので自分のアカウント上ではたまたまそういう投稿が移されやすくなっていたのでしょうか。「"野球" "政治" "宗教"の話題は他人とはするなと小さい頃教わりましたが、今のネット社会ってこのタブーを平然と犯しまくっています(唯一、宗教に関しては守られているかもしれません)。
というかSNSを使い始めた頃は猫や犬の動画ばっかりタイムラインに表示されて「癒やされる~」だったのに今は政治家の演説とか著名人の発言の切り抜き動画とかばっかり表示されます。SNSのアルゴリズムに変更があったのか、自分の考え方が偏ってしまったのか、よくわかりませんが、何か変わったことは実感しています
そんな変化に先の母の言葉で気が付きました。母はネットに疎い人物なのでネットに染まっていなかったのでしょう。自分も政治に興味が出てくる年になったんだよ、と言い返そうか迷いましたが、ぐっと言葉をこらえました。本当に年の所為なのか? SNSで罵りあっている人々の言葉を見ていると「大人」というより「子ども」っぽいです
ネットに興味関心をコントロールされているのではないか、そんな考えが頭をよぎりました。もともと、世間のニュースに関心などなかったのが自分です。このブログだって、最初の頃は「ネットで話題になっていること」「ニュースが報道するようなこと」については書かないようにしようと思っていたのです
経験的にそういう話題はPVが伸びやすいですが、それ故にPVに気を取られて自由な発言ができなくなっちゃうと思っていたからです。結局、ネットの意見って美人投票みたいな部分があって「自分が本当に思っていること」と「みんながそう思っていること」の境が曖昧な部分があります。ネットに深く浸かれば浸かるほど自分の意見がみんなの意見にすり替わっちゃうジレンマみたいなのがあるんじゃないでしょうか。でも、画面の向こうに実際にみてくれる人がいるのかわからないネットの社会で「みんな」なんて言葉を使う事自体がおかしいんだけど
このブログはほぼ私的なブログなので、自分の書きたいことを書くためにあります。その意味で、わかったふりして一丁前に政治やニュースの話題を書いていたのはちょっと変なんじゃないかなと思い始めました。自分が過去を見返すためにあるようなものなのだからもっとつまんないことを書いたほうがいいのです。それだとネットの他の人からはウケが悪いんでしょうけど
というわけで、初心に戻ってつまらないことをブログで書いていこうと思います。人生一度きりなんだし、せっかくなら「みんなと同じ」であることを誇るより周りからずれていること――「ガラパゴス」であることを誇りたいです