弱者男性の間でにわかに托卵が恐れられています。何を隠そう弱者男性たる自分も托卵の恐ろしさにガタガタと歯を震わせ、夜も眠れない日々が続いております(ホントか?)
SNSで「托卵」が注目されるようになったのは「わたしの宝物」というドラマの1シーンが出回るようになったから。自分も見ました。なんか男の人が泣きながら母娘の姿をカメラに収めていたように記憶しています
ドラマを追っていないのでどういう経緯であんなよくわかんない状況になったのかは詳細不明ですが、どうやら夫は自分と血がつながっていたと思っていた娘が実は妻と他の男との子どもだと知っていて、しかしながら愛する子ども(妻にもかな?)に対する未練も捨てきれずにあんな感じになっていたようです。俗に言う「托卵された」ということでしょう
ネットでは托卵に対して侃々諤々の議論が行われています。「女は托卵するゴミクズだ!」というクソデカ主語で戦う有害な男らしさ全開のマッチョマンや「例え自分の子どもではないとわかっていても奥さんを愛すのが理想の男なのよ?」という欲張りセットな女性の意見がめちゃくちゃな対立をしています
托卵は悪なのか(そこからなの!? と思いますが)、托卵が起きたとき、妻が悪いのか、間男が悪いのか、夫が悪いのか、話し合いは尽きないですが、自分が見ていて疑問に思ったのは「托卵」という用語
「これって生物学の用語では?」と思うのです。言ってみれば、「交尾」のように動物界で起きているような事象を表す事象であって、人間の行為を表すのには不適切なのでは、と感じます。「今日の夜、交尾しましょう」なんて言ってくるやつがいたら、間違いなく”やべぇやつ”です
托卵(たくらん、brood parasite、brood mimicry、egg mimicry)とは動物の習性のひとつ。自分の卵への世話を他の動物に托す(代行させる)こと。巣作り・抱卵・子育てなどを仮親に托す(代行させる)ことを托卵。...(中略)...もともとは鳥類の行為を指したが、魚類・昆虫類の行為も指す。寄生の一種と言って良い
Wikipediaの「托卵」を見てみると、「動物の習性の一つ」と書かれており、やはり生物学的な文脈の用語であることがわかります
ヒトも卵子を持っているので、托"卵"という言葉が当てはまらなくないとは思うものの、産卵を行う鳥類などを念頭においた言葉であることは間違いないでしょう。ゆえに人間に当てはめるとなんだか「ぼんやり」した印象を受けます。「交尾」と言ったって「人間にはしっぽが無いのだから何を交わらせるの?」という疑問とおんなじ感じです
托卵の「托」という字にも違和感を覚えます。「托」は他人に何かを任せることを表す「託す(たくす)」と同じ意味を持つ漢字です(記事を書いたときに初めて「託」ではないことに気づきました。言偏と手偏で何か違いがあるのでしょうか)。「卵をたくす」で「托卵」なのですが、これだとあたかも妻や間男が同意に基づいて夫に子どもの世話を任せているように聞こえます
人間界で起きている事象としては、「ある夫婦の妻とその妻と婚姻関係にない男が夫に知られないように子どもを作り、妻と夫の子どもであるかのように見せる」のが「托卵」の実際です
既婚者が配偶者以外の異性と肉体関係を持つことは姦通、他人の子どもをあなたの子どもだと偽るのは詐欺、夫にそれを信じ込ませて養育コストを払わせ続けるのは養育寄生だと言えます。間男と妻が結託しているなら共謀です
なので、これらのつよつよワードを組み合わせて「姦通による養育寄生」とか「共謀遺伝子詐欺」とかいう悪意を強調した感じの言葉にしてほしいと思っています。だって実際そうだし
自分が無知なだけかも知れませんが、「托卵」を示す法律用語ってないんですかね? 人類の長い歴史の中で強者男性が誰かの妻に自分の子供を産ませたり、あるいあ妻が強者男性の遺伝子を欲しがって密かに子種を仕込んだり、は数多くあったことだと思います。現象が存在するはずなのにそれを示す正確な用語がないとは考えにくいです。「托卵」って比較的新しい語彙な気がしますし。不貞行為や不倫に付随する現象として一括りにされちゃてたのかな。そもそも妻や夫がパートナー以外の異性と性交すること自体が結婚制度では前提とされていませんからね
「姦通による養育寄生」あるいは「共謀遺伝子詐欺」はセックスはしたいけど子育てはしたくない強者男性とパートナーにはなれないけど強者の遺伝子は欲しい&男性による養育支援も受けたいという欲張りセットな女性の間で起きます。両者お互いにメリットがある行為で、被害者となるのは何も知らずに純粋に自分の子供だと思い込んで子育てを健気に行う夫です
これだけでも夫に対して不公平な行為なのですが、一番卑怯だと思うのが「できちゃったんだから育てるしかない」という戦法を取って苦しい二択を被害者に迫る人間がいることです。被害者である夫はなぜか被害者であるのにかかわらず「妻と子どもを見捨てる」か「自分を殺して裏切った妻と子供を育てる」かの二択を迫られます。妻と子供を見捨てる、と薄情な人間だと思われてしまいます。先に薄情な行為をしたのは妻と間男の方なのに、なぜか既成事実を作られてしまうと後から判断を下したほうが悪いとみなされてしまうのです。不法移民の諸兄もこんな手口を使ってますよね。強制送還は正しい法的手続きなのになぜか強制送還させるほうが悪者に見えてしまう……
男性側には常に生まれてきた子どもが本当に自分の子どもかどうかわからない、という懸念があります。この懸念が男性の子育てに対する消極性の一因になっていたり、男性から子どもへの虐待の多さの一因になっているという理解です。現在ではDNA鑑定により親子の判定がかなり正確にできるのだから、男性の家庭参加を促す意味でも出生後のDNA鑑定を広く普及させようという動きがあっても良さそうなものですが、あまり大きな動きになりませんね
社会は弱者男性に厳しいのであった。悲しいよ