『誰も知らない世界のことわざ』を読みました。
『翻訳できない世界のことば』の著者であるエラ・フランシス・サンダースさんの本です。『翻訳できない世界のことば』では単語にフォーカスがあてられていましたが、本書ではことばの組み合わせ=ことわざを特集しています。
日本語から選出されているのは「猿も木から落ちる」「猫をかぶる」の2つ。
「猿も木から落ちる」って日常的に使う場面がないくせにみんな知ってる言葉。不思議です。辞書で引くと類語として「弘法も筆の誤り」「河童の川流れ」が続くことが普通です。「猫をかぶる」はよく使いますね。
『誰も知らない世界のことわざ』では、様々な言語から面白い言い回しがピックアップされているわけですがそのうち気になったものを3つ取り上げてみました。
カラスが飛び立ち、梨が落ちる 까마귀 날자 배 떨어진다(カマグィ ナルジャ ペ トロジンダ) 韓国語
「それっぽい」というだけで関連付けられてしまったり、疑われたりしてしまったときのことを表す慣用表現です。日本語だと「濡れ衣を着せられる」に近いですかね。烏飛梨落(オビイラク)という4字熟語でも表されれるとか。
もともとは仏教の説話に由来する表現みたいです。原典を見つけられれば良かったんですが、見つからず。以下のサイト様によると次のような話みたいです。
ある日、梨の木の枝で休んでいたカラスが飛び上がったとき、その揺れで梨が落ち、下にいた蛇が死ぬことになる。
そのあと、蛇がいのししに生まれ変われ、カラスはキジに生まれ変わる。
今度はいのししが間違って石を落とし、卵を抱いていたキジがその石で死ぬ。
そのキジが人間に生まれ変われ、今度はいのししを狩ろうとしている。それを見た一人の法師が、その二人の因縁を見極め、いのししを殺さないように説得し、繰り返される因縁を切った
話自体は予期せぬ偶然で因縁が続いていくことを表していますが、慣用的には「無実の罪を疑われる」という意味で使われているそう。
ガレージで迷子になったタコ estar más perdido que un pulpo en un garaje スペイン語
海の中では自由自在に動き回れるタコでもガレージの中ではどうしようもありません。転じて、場違いなことで戸惑うことを意味するようになったらしいです。
水中の生き物であれば大体成り立ちそうなこのことわざですが、タコが選ばれたのは足が8本あって器用そうだからでしょうか。「本来の居場所であれば、活躍できるのに……」という裏の意味も含んでいそうです。日本語で言えば、「借りてきた猫」が近いのかなぁ。
ちなみに、2017年で駐車場にタコが落ちていたというツイートがあったらしく、上のことわざでググると、「ガレージのタコで迷子になったタコは実際にいた!」みたいな記事が出てきます。本当に困ってそう。
Y aquí está, este es oficialmente el ser más perdido de la existencia: un pulpo en un garaje pic.twitter.com/IcYsiYBDFb
— Noelia Posse Fan Account (@deepanalfist) February 25, 2017
猫のように熱いおかゆのまわりを歩く kiertää kuin kissa kuumaa puuroa フィンランド語
日本語には猫に関する慣用句が多い、と「猫をかぶる」のページで解説されているのですが、そんな猫好きの日本人として見逃せないのがこの表現。
「猫のように熱いおかゆのまわりを歩く」
アツアツのおかゆに興味津々なのに、実際には食べようとはしない猫の態度を表したもので、遠回りな言い方をしたり、回りくどいことをしている人のことを指すようです。「猫のように熱いおかゆの周りを歩いてないで、端的に言ってくれ」みたいに使う感じかな。日本語だと……なんでしょう? 核心を突くの反対なので「的外れ」とかでしょうか。
猫って色々なことに興味津々な割になかなか首を突っ込んでは来ないですからね。おいてあるおかゆが食べれるかどうか気になってうろうろしてしまう猫。ことわざの情景がありありと浮かんできます。
こちらは熱々のトースターに興味津々な猫ちゃん。動画のような状態を言い表しているのでしょう。
……というわけで『誰も知らない世界のことわざ』から3つ面白かったものをピックアップして紹介しました。
収録されていることわざすべてが動物に関連するものではないものの、その多くは動物が絡んできます。
動物が人気なのは昔も今も変わりないのかもしれません。