『ニトラム/NITRAM』感想 実話を元にしたオーストラリア版爽やかなジョーカー

『ニトラム/NITRAM』という映画をAmazonPrimeで見ました。1996年にオーストラリアのタスマニア島で起きた銃乱射事件「ポートアーサー事件」の犯人Martin Bryantが犯行に及ぶまでを描いた映画です。2024年5月からAmazonPrime見放題のラインナップに入りました

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主人公のマーティンは死者35人、負傷者15人という壮絶な被害者を生み出した無差別殺人の犯人なので劇中では当然ながら普通の人間としては描かれていません。実際、マーティンには知的障害や精神病の疑いがあったらしく、映画の中ではそれらを示唆するような描写がたくさんあります

Wikipediaから持ってきたマーティン・ブライアントの実際の写真です。あらやだイケメン……

周囲になじめないマーティンは田舎の小さな社会の中で孤立していきます。タイトルとなったNitramは名前のMartinを逆から読んだもので、彼が周囲の人間から呼ばれていた蔑称だったそうです。nitが良くない意味を持つらしいですね

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物語全体の雰囲気というか映像の構成みたいなものはアメリカで公開されて一時期物議を醸した『ジョーカー』を思い出しました。あれは売れない道化師であるアーサーがいくつもの不運に見舞われて邪悪に目覚めていく物語ですが、このニトラムも不運のため社会から孤立した主人公が追い詰められていき犯行を思い立つに至るという点で似ています

異なるのは舞台がタスマニア島だということで海や草原など自然の描写が多く映像が爽やかなことと、実話を元にした話なので『ジョーカー』とは違いドキュメンタリーチックな側面を持っていることです。『ジョーカー』は主人公の悲劇的な側面が強調されていましたが、こちらは主人公のマーティンを突き放したような描かれ方がされています。主人公よりも周囲の人の心理描写に重きをおいている感じです

見る人によって感じることは異なる映画だとは思いますが、いろいろなところで紹介されているような「陰鬱さ」はあまり感じませんでした。映像が淡麗で、事実を淡々と積み重ねていくスタイルのためか見たあとの感じは意外と爽やかです。ラストシーンの描写なんかは救いようのない場面なのですがきれいに感じました

ネタバレありの感想に移る前に、これから見る人を安心させるために書いておくと悲惨な事件を描いた映画ですが血が吹き出るようなシーンはなく、犬や猫がいっぱい出てきますが一体も死にません。安心安全!

 

 

 

 

 

というわけでここからネタバレありの感想です

マーティンは不遇な境遇でしたが、上にも記載した通り同情的には書かれていません。実際、ファーストシーンは花火を打ち上げて火傷したときの彼のインタビューから始まって、彼が小さい頃からトラブルメーカーだったことが示唆されています

劇中でも見栄を張るために細かい嘘をついたり、他人を無下に扱ったりなどの嫌悪感を抱かせるような描写が続きます。自分が見ていて一番不愉快だったのが、助手席から運転中のハンドルをぐいっと回すいたずら。自分があれをやられたら、絶対に絶交します

実際にマーティンは周囲の住人から「絶交」されていたのですが、それが周囲の無理解によるものかと言われると首をかしげます。オーストラリアの更に端っこのタスマニア島で孤立するのは心理的にはかなり辛いことですし、田舎の閉鎖的なコミュニティも彼の孤独を際立たせていたのでしょうが、映画の描写が正しければ孤立せざるをえないような要素が彼自身にもあったことは事実だと思います

タスマニア州 - Wikipedia

マーティンの理解者となってくれていたのは父母とお金持ちの高齢女性のヘレン。自分の見立てでは一番マーティンのことを考えていてくれていたのは母であると思うのですが、マーティンには彼女の愛情がいまいち伝わっていないような感じでした。彼にまともになってほしいと口うるさく注意する母より、自分を甘やかしてくれる父やヘレンにマーティンは好意を寄せます

母親の気持ちを考えると切なくなるようなシーンがいくつかありました。ネットで他の人の感想を見ていると「母は息子に冷たい」という感想もありましたが、マーティンの自立を考えると彼女は冷酷な役割を引き受けなければならない部分があったのだと思います。幸せになってほしいと思う一方、甘やかしてしまっては息子のためにならない。そういう葛藤を背負っていたという意味ではある意味主役級の存在なのかもしれません。最後のシーンが母親の悩ましげな横顔で終わるのは偶然ではないと思います

その母親と対極的な存在がお金持ちの孤独な婦人であるヘレンです。彼女は家に押しかけてきたマーティンを気に入り、車、住居、なんでも与えます。こんな都合のいい人間、実在するのか!? と思ってちょっと調べてみましたが、ヘレンも実在の人物らしいです。映画だと数ヶ月の出来事かのように見えますが実際にはヘレンとマーティンの関係は5年も続いたというのだからびっくり。マーティンの(良くも悪くも)子どものようなところに惹かれたのでしょうか。甘やかされたマーティンはすっかりヘレンに懐いてしまいます

映画の中でヘレンとマーティンの母親が顔を合わせる場面がありますが、あのときの妙な緊張感は癖になりますね。マーティンの「母親的な存在」としての主導権争いが起きていました。マーティンの性格も変人寄りですが、彼に対して遺産まで授けてしまうヘレンもそれと同じぐらいの変人です。ペットの多頭飼いで飼育崩壊しているような描写がありますが、ヘレンもお人好し過ぎるという意味で頭のネジが外れてます。彼女の甘やかしがマーティンにとって救いになったのか毒になったのか……

一体、ポートアーサー事件の引き金となったのは何だったのでしょうか。映画の中では明確にそれがわかるようなものはありませんし、実際の事件の記述を読んでも「動機は不明」と書かれています

(映画を元に実際の事件について語るという安易なことをさせてもらいますが)マーティンは「花火」「ハリウッド映画」「銃」という派手なものが好きでした。察するに彼は周囲の注目を浴びたかったのではないでしょうか

しかし、地元では「変人」で通っている彼は皆からシカトされてしまいその欲望を満たすことができません。ヘレンの遺産が手に入って経済的な余裕ができても、周囲から注目されるわけでもなく、尊敬されるわけでもなく状況は変わりません

居場所がなくなった彼が思いついた最終手段が銃を使用した無差別殺人です。「人をいっぱい殺せばニュースになる」という単純な発想です。結果としてポート・アーサー事件の犯人としてマーティンは世界に名を轟かせます。この推察が正しければ彼は彼自身の目的を達成できたわけですが、それを手に入れられて彼は満足だったのでしょうか。終身刑を受けた彼は今もなお刑務所の中に収監されていますが、刑務所という施設こそ社会から完全に疎外された施設です。シカトが嫌で騒ぎを起こしたら、それが原因となって更に皆から疎まれる。彼は彼が繰り返してきたこのループの究極の地点にたどり着いたのでした

どうすればこの事件が防げたか、は重要な問題ですが結局答えは出ません。銃の規制がゆるかったことで銃撃事件に発展したことは事実ですが、本質ではないような気がします。ヘレンのように甘やかしてもつけあがるばかりですし、マーティンの母親のように厳しく正しい道に戻そうとしても反発される。だからといって、無視すれば厄介事を起こされる。受け入れても、受け入れなくても、関わらなくても、防ぐことはできない。ラストシーンのマーティンの母親のように背中で事件の存在を感じながら悩ましげな表情を浮かべるしかないのかもしれません