「こんなテーマ、面白くねぇわけねぇ!」と思って読みましたが、読み終わって、「あんまり面白くねぇ!」となってしまいました。『性(セックス)と宗教』という本です。
いかがわしい内容を期待して買った俺が全面的に悪いわけですが、いたって真面目な本でした。そういうのが読みたい人はフランス書院かハーレクイン文庫の本を読もう!(戒め)
著者の島田裕巳さんは多くの本を執筆されてきた宗教学者。専門は……ちょっとよくわかりませんが、本を読んで著書の一覧を見た限り、神道や日本の仏教に詳しい方とお見受けしました。新興宗教にも知見があるようです。宗教のことならなんでもって感じですね。
性と宗教というなんとなくセンセーショナルなテーマとは裏腹に内容はかなりしっかりしていて、山川の世界史Bの教科書を彷彿させるほどです。ところで、世界史のAルートって俺は習ったことがないんですが、どんな内容なのでしょうか。ドイツが第二次世界大戦で戦勝国となってたり、ダークステートとかが出てくるのかな?
話がそれましたが、宗教と性の話です。この本は宗教学としてみた性と宗教の関係を見ていく本で、文化人類学的なものや心理学的な内容を求めて読むとおそらくしょんぼりしてしまいます。俺がそうです。
特に各宗教で畏敬の対象となる人物がどのように性にかかわってきたのかという点にフォーカスが当てられています。キリスト教であれば、預言者のイエスや教父アウグスティヌス。イスラームであれば預言者ムハンマド。仏教からは親鸞……などなど。歴史的な内容がてんこ盛りです。
宗教の教義や儀式の中では性行為は戒めの対象か、神秘的なものとしてあがめられるかのどちらかです。キリスト教や仏教では人間の性は罪あるいは欲望として聖なるものから忌避されてきました。その真逆なのが道教や神道などの宗教で、これらは性行為という儀式を通じて特別な力を授かったり、超越的なものとの交信を行おうとしました。性に対して敵対的であれ、親和的であれ、人間のある種本質的な側面として性を定義しているところは変わらないみたいです。
一番印象に残ったのは日本の民俗学者折口信夫に関する以下のエピソード。折口信夫は自宅に同居させている弟子の加藤守雄にたびたび同衾を迫ります。「一緒の布団で寝ようよ」ってことですね。もちろん弟子は拒否します。
ですが、折口信夫は折れません。日本には古来から男色をよしとする風俗があったのですが、自分で体験してみないことには謎を解明できないからです(建前)。折口は弟子の前で突如自分のはいていたふんどしを干すという奇行に走ります。挙句の果てには……
数日後、折口は加藤のからだを蒲団の上から抱きすくめるようにしてゆさぶり、「ぼくの言うことを聞くか。聞くか」と迫りました。
しかも、その振る舞いは次第に露骨なものになっていきました。「森蘭丸は織田信長に愛されたということで、歴史に名が残った。君だって、折口信夫に愛された男として、名前が残ればいいではないか」と口説くようなことさえありました。
結局、折口信夫は弟子とそのような関係に至ることはできず、弟子の加藤守雄は折口のもとから逃げだします。う~ん、完全に事案ですね。
本書では聖職者による性的虐待にも少し言及されています。もしかしたら、性には抑圧されるとゆがんだ方向に増幅してしまうという特徴があるのかもしれません。僧侶の間でも男同士の交わりをおかすことはたびたびあったようですし、性的なものを忌避することがそのまま人間の性を健全化することにはならないのです。あくまで一意見ですが。
性と宗教。宗教学の知識を得たいと思う方はどうぞ