結婚、出産……関係ない人の方がうるさくなるのはなぜ? 孫はかわいい理論

若干挑戦的なタイトルを付けてみました。最近のニュース(といっても俺が見つけたネットニュースだけど)を見て感じた疑問です。なんか、話題のニュースで関係者たちより全く関係のない人たちの方が声が大きいってこと、よくありませんか?

例えば、現在炎上真っ最中の秋篠宮のお嬢さんの話。

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皇族である眞子様と小室圭さんが結婚するという、たったそれだけのニュースです。

「へぇ、そうなんだ」で済むニュースなのですが、なぜかヤフーニュースのコメント欄は大荒れ。曰く、「小室圭は眞子様の婿としてふさわしくない」とのこと。

news.yahoo.co.jp

批判の対象となっているはずの小室圭さんは言わずもがな、なぜか眞子様秋篠宮家も彼らの攻撃の対象となっています。眞子様が自分で決めた相手なんだからいいじゃん、別に。小室圭さんだっていろいろ言われていますが、悪人ではないでしょう。英語がぺらぺらで、アメリカで弁護士資格の取得を目指している29歳の青年。……いたって普通、というよりむしろ十分すぎる経歴です。

もちろん、宮内庁の運営を含む皇族の生活費は俺たちが払っている国の税金から出ているわけですから、批判している人たちと眞子様たちの間柄は全く無関係というわけでもないのですが、本当に税金の無駄遣いが許せないのなら予算のごく一部を占めている皇族の生活費なんかを気にするよりも、他に気にすることがあるはずです。

そもそも、眞子様と小室圭さんの結婚という問題は、第一に婚姻関係になる眞子様と小室圭さんの問題であり、第二に家族となる小室圭さんの親族と眞子様の親族のお話であるはずです。当事者間で合意が取れていればそれでOKじゃないですか? 秋篠宮夫妻が眞子様の結婚に反対しているとは聞きませんし、「小室圭騒動」と呼ばれる一連の騒動って関係者の間では「騒動」なのではないのかもしれません。要するに、ただ外野がわあわあ騒ぎ立てて無理やり問題にしようとしているだけなのでは?

同じようなことを少し前に見たアメリカのハートビート法に関しても思いました。

gigazine.net

アメリカでは妊娠中絶を法律で禁止している州がいくつかあります。良くも悪くも保守的な州のテキサス州なんかはそんな州の代表格なのですが、その妊娠中絶に関する法律を「ハートビート法」と呼んだりします。理由は妊娠6週間で胎児に心臓ができ心音が確認できることを根拠に、お腹の中の赤ん坊を母体とは別の独立した人間として認めるからです。

妊娠6週間以後の胎児は人格なので何があろうが他人が命を奪うことはできません。よって、中絶手術を行って赤ん坊を堕ろすことは罪……だそうです。なんとレイプによる妊娠でさえこの法律は有効だそうです。妊娠6週間なんて妊娠に築かないことだってよくある期間なのに(現に上の記事では中絶を望む女性の85%が妊娠6週間以後だと書かれています)、どうしてこんな法律が?

これもさっきの眞子様結婚問題と同じ問題を含んでいると思うんです。眞子様が周囲の人間から「しっかりとした人間と結婚すべき」と思われているのと同様に、妊娠した女性は「子供のために生きるべき」と周囲から期待されているのです。

要するにこの類の法律は、関係者の合意による法律というよりかはがやがや騒ぐ外野たちの要望によって作られたものだというわけだと思うのです。キリスト教圏の話ですから、「産めよ増やせよ」の聖なる世界観を守りたいというおせっかいすぎる理由もあるかもしれません。ともかく、関係者である妊娠した女性とか現場をよく知っている産婦人科医たちの意見によって生まれた法律ではないということです。

www.harpersbazaar.com

ハートビート法に関して批判的に書いている上の記事に以下のような一説があります。

 

連邦最高裁判所がロー対ウェイド判決を確定した1973年以来、アメリカでは人工妊娠中絶は合法であるが、必ずしも容認されてきたわけではない。アクティビストたちが一丸となり選択の権利を守るため「女性の体と法律は切り離すべき」と叫ぶ一方で、中絶反論の声も同様に響き渡っている。

沈黙が目立ったのは妊娠の当事者である男性たち、そして中絶経験のある女性たちだった。「中絶をしたことがある」と言うことは、慎み深い社会に計り知れない衝撃を与えるからだ。

関係者たちが口をつぐみ、訳の分からない連中がうるさく騒ぎ立てる。恋愛、結婚、出産ってほぼこれじゃないですか? この世の不条理を絵にかいたような現象です。

なぜ、他人の人生に関して外野が熱狂し始めるのか。俺はある仮説を考えました。その名も「孫はかわいい理論」です。

おばあちゃん、おじいちゃんにとって孫は息子/娘よりかわいく見えるとのことですが、その理由として「自分が育てるわけではないから」というのはよく言われていますね。

皇族の結婚問題とか人工妊娠中絶問題とかもその類の現象なのではないかなと思います。結局、彼らの人生は「自分の人生」ではないわけです。だから、「他人の人生」がどうなろうと知ったこっちゃないわけですが、無関心とはならずに「こうあるべきだ」という理想を押し付けてしまう。そりゃあ、何の欠点もないような結婚相手が見つかれば万々歳ですけど、そうじゃないことって往々にしてあります。妊娠したいときに妊娠できるわけじゃありません。自分の人生であればそんなことわかりきっているはずなのに、他人の人生のことになると、その視点が抜け落ちてしまう。結果として意見がどんどん厳しくなっていくのです。

それっぽいこと書いてみましたが、どうでしょう。どんな人と結婚しようがどんな理由で子供を産む/中絶しようが本人たちの意思を尊重するのがよいと俺は思いますけどね。その理論で行くと、外野たちが野次を飛ばすのも本人たちの勝手だということになってしまうのがつらいところなんですが……。