さて、今年も村上春樹の季節がやってきました。
俺はハルキストでも何でもないので、彼がノーベル文学賞を獲れるかどうかに関しては割とどうでもいいのですが、毎回こんな感じのニュースを見るたびにいい加減獲らせてあげようよ、と思います。白髪も増えてすっかりおじいちゃんですね。おじいちゃん、今年はノーベル文学賞取れましたか?
ノーベル文学賞の候補に挙がった(とされる年)ときから通算で16年目らしいです。16年ずっと候補に挙がって、ずっと落選するって……一発で受賞するよりも遥かに難しいのではないでしょうか。村上春樹の小説を読んだことのない人は村上春樹さんのことを作家というより「いつもノーベル賞を逃している人」として認知し始めていてもおかしくありません。
なぜ、ずっと「候補」リストに入ったままなのでしょうか。2、3回候補に挙がって受賞できないのはわかります。期待の超新星が出てきて、どうしても今年はその人に受賞させたいという年はありますからね。でも、16回も連続で候補から落とされるのは正直、理由がよくわかりません。選考委員の中に村上春樹絶対ノーベル賞取らせないマンでもいるのでしょうか。
というわけで村上春樹の激闘の歴史について調べてみました。
ノーベル文学賞のシステム
いったん、ノーベル文学賞のシステムについて解説していきましょう。
選考委員はどのように構成されているのでしょうか。てっきりスウェーデンの学者たちが勝手に選んでいるものだと思っていましたが、もっとグローバルなシステムみたいです。
ノーベル賞の公式サイトに乗せられている説明によると選考委員は4種類の人間で構成されています。
学者さんたちが選んでいるというのは知っていましたが、過去の受賞者も選考委員の中に加わることができるんですね。これは意外でした。
そして、選考は何と1年間にわたって行われます。候補者の推薦状の受付が始まるのが前年の9月から1月31日までで、2月に候補者リストが開示されます。
4月にはそこから15~20人に候補者が絞り込まれ(予備候補者)、5月に5名の最終候補者が選出されます。
6月から8月の間は、アカデミー会員が最終候補者の文学作品を読み、委員会が各候補者のレポートをまとめる期間となります。
そして、最終選考が行われるのは9月。受賞者の公示が行われるのが10月初旬となります。
授賞式は12月の10日、ストックホルムで行われます。
なお、どの団体が推薦したかに関しては(おそらく政治的な配慮のためでしょうが)、50年近く公表されません。50年以上前の推薦者に関する情報は以下の「Nomination archive」というページで調べることができます。(2021年10月時点でノーベル文学賞に関しては1966年の情報まで見ることができます。ぴったり50年というわけでもないんでしょうか?)
それによると、1966年の時点まで日本人からノーベル文学賞の候補になっているのは、賀川豊彦、西脇順三郎、谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫の5名となっています。
谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫ぐらいは不勉強な俺でもぎり知っている作家なのですが、賀川豊彦や西脇順三郎に関しては恥ずかしながら全く知りませんでした。すごい日本人はいっぱいいるもんですね。
川端康成の推薦者となっているのは、年によってまちまちなのですがスウェーデンの文学者であるヘンリー・オルソンのほか、ハリー・マーティンソン(スウェーデンの作家)、日本ペンクラブなどです。
川端康成が初候補者となったのは1961年のこと。受賞したのは1968年ですから、受賞までに7年ほどかかった計算になります。1949年に物理学賞で受賞した湯川秀樹も1940年に候補者として初めて名前が挙がり、実際に受賞したのは1949年ですから、約9年かかっています。
あれ……そう考えると、16年受賞を見送られている(とされる)村上春樹もそこまでおかしくないんではないか? ノーベル賞受賞には意外と時間がかかるものなのですね。
ともかく、以上がノーベル文学賞の選考についてでした。
村上春樹、苦労の歴史
上記の説明であった通り、16年前の候補者は現時点では公示されていませんから、その時に本当に村上春樹が候補者であったかどうかというのは不明です。
では、なぜ16年連続で受賞ならずといわれているのかというと、それは2006年に彼が「フランツカフカ賞」を受賞したからです。
前年、前々年のノーベル文学賞受賞者がフランツ・カフカ賞を受賞した作家であることから村上春樹も有力候補となっているのではないか、と推測されていたみたいです。
会見の時に、記者からノーベル文学賞についても聞かれたらしく、その時に彼はこう答えています。
「ノーベル賞については誰からも何も聞いていません。ここで言うのは申し訳ないが、賞には関心がない。読者が私にとっての賞です」
この時は、まさか16年後も同じような質問をあらゆる人間から受け続けているとは思いもしていなかったでしょう。
2008年。2006年から数え、通算3敗目を飾った村上春樹ですが、以下のページの内田樹の文章で各新聞社が村上春樹受賞時のコメントを求められているという記述があることから、いつかは受賞するものと目されていたみたいです。
2009年。村上春樹がエルサレム賞を受賞したことで、彼の国際的評価はさらに高まります。
ただ、このエルサレム賞はイスラエル問題/パレスチナ問題が絡む若干複雑な賞でした。受賞の意を示した時点で、イスラエル問題に関して政治的なコミットをしてしまうかのように見える繊細なものです。そのことを避けるためか、彼は受賞のスピーチの中で壁と卵という比喩を用いて、パレスチナ側への配慮を含意にしたと思われる内容の発言をします。要するに、イスラエル(体制側)の組織が運営している賞を受賞する際に、暗にパレスチナ(反体制)に対して自分は味方であるというような発言をする、という大胆な行動をして見せたのです。
ただ、そこまで配慮してもやはり批判は絶えなかったみたいですね。この後、エルサレム賞でのスピーチの内容が原因でノーベル賞が受賞できないんだ、みたいな記事がちらほら出てきます。まぁ、たぶん関係ないでしょうけど。
村上春樹が受賞を見送り続けて2013年。産経新聞が「村上春樹 受賞」の誤報を流したことが話題になります。
朝日新聞が他社の誤報を嬉々として報道しているところが苦笑な感じですが、それにしても新聞社は毎年この時期になると、受賞しないかもしれないとわかっていながら一応記事を用意しているんですかね。なんだかかわいそう。
村上春樹自身はノーベル文学賞などどうでもいいというスタンスをとっていますが、これほどまでに社会的な関心が高まっていると、全く意識しないというのは不可能でしょう。たぶん、「30歳を過ぎると両親から早く結婚してよという無言の圧力を感じる」というような状態じゃないでしょうか。ファンの人々、報道機関、出版社は表立ってはいいませんが「いい加減受賞しろよ」というような空気を漂わせ始めます。
2014年になると、村上春樹が株価に影響を及ぼし始めます。受賞すれば、文教堂の本がバカ売れして業績が良くなるだろうという予想の元、あらかじめ株を買いあさる人がでてきたのでしょう。ノーベル文学賞受賞したら、そんなに本が売れるんでしょうか?
2015年、受賞ならず。ノーベル文学賞関連の報道について「わりに迷惑」と答えます。
2016年、受賞ならず。このことから、何となく、村上春樹が受賞できないことを前提にした記事が多くなってきている気がします。
「村上春樹はなぜノーベル賞を取れない?」って結構失礼なタイトルですよね。勝手に期待しておいて、受賞できなかったら「こいつのこういうところがダメなんです」と批判する。まさに「わりに迷惑」です。
2017年は日本にゆかりのある人物であるカズオ・イシグロが受賞したことも相まって微妙な空気になります。
2018年はノーベル賞がスキャンダルで選考が白紙になった年らしいのですが、村上春樹はその年にノーベル文学賞の代わりとなる文学賞の候補に選ばれます。村上春樹は辞退します。最終候補者に残っていたみたいですし、素直にこの賞にかけておけば、ワンチャンありました。
続く、2019年には選考がなかった2018年と2019年の2年間の結果が一気に発表されます。なぜ、ノーベル賞の運営団体は毎年受賞者を出すことにこだわるのでしょうか? 大きな成果があったら、ノミネートという方式でも問題ないような……。ともかく、このことにより彼は1回の発表で2回敗北するというトリッキーな負け方をします。
2020年。このころになると、毎日新聞や朝日新聞、読売新聞などの大手新聞社の記事は見つからなくなります。毎年おんなじような記事を出すのも失礼だと思うようになったのでしょう。
そして2021年、結果は言わずもがなです。
まとめ
この記事の中ではノーベル文学賞の受賞を逃すことをやや誇張して「敗北」と表現していますが、別に賞を受賞できた/受賞できなかったは村上春樹の文学的な価値を高めるものでもなければ、貶めるものでもありません。高い文学性が評価されて受賞されるのであって、受賞されたから高い文学性があるというわけではないのです。勝負でもないですしね。
村上春樹にしてみれば、迷惑千万以外の何物でもないでしょう。毎年、朝起きると、自分の顔がテレビに映し出されて、なぜか知らない連中がなぜか悔しがっている一日がある。……うーん、ギャグだな、これは。
とはいえ、彼が受賞しないと、この迷惑な一日が来るのが終わらないことも事実。彼がノーベル文学賞の呪いから解き放たれるときは来るのでしょうか。