陰キャ的やさしさと陽キャ的やさしさ

どうもshigoroxです。

毎日書くと堂々と宣言してから5日が経過し、早くもネタ切れの危機に陥っています。

残業が続くせいでネタを探す時間もありませんし、正直もう眠くて早くお布団に入りたいし、三日坊主の悪魔に負けてしまいそうです。

たかが数日続けてみて、わかった気になるのもおかしな話ですが、自分って本当に何かほかの人に伝えたいってことがないんだなぁということに気が付きました。

昔、自分の名前を間違えて呼ばれたとき、俺は最後までその間違いを指摘することなく、その人との会話を延々と続けていたことがあります。後日、読み方を間違えていたことに気づいた相手が「ごめんね。どうして言ってくれなかったの!?」と謝ってきたのですが、こちらとしては自分の名前にこだわりがなかったので、申し訳ない気持ちにさせてしまって申し訳ないなとしか思いませんでした。

他人の間違いを指摘してちょっと雰囲気が悪くなるのが嫌だ……という理由もありましたが、それ以上に間違った名前を呼ばれた時点で「大体あってるからいいか」と思ってしまったんですよね。読み方が間違っているだけで、指しているものはおんなじなのだから、自分で脳内変換して勝手に処理しちゃえばいいやと思ったのです。

思えば、自分から働きかけて相手に何かをしてもらうということを自分は極端に遠ざけてきました。家族にはたまに行ったりしますけど、「~してほしい」とか「~がいい」とか自分、ほとんど言わないもんなぁ。まず相手の要望を聞いて、自分の思っていることと違っていても相手にあわせてあげる。

ここまで書いて、話したいと思うことがようやくできました。テーマは2種類のやさしさについてです。

一般的に、優しい人っていうと相手の気持ちを尊重できて、相手を傷つけない人のことを言いますよね。自分、最近、優しさには2種類あるってことに気が付きました。

1つ目は、相手の思うようにさせてあげる優しさです。要するに、相手に決定権を委ねることによって、相手の思うようにさせてあげるタイプのやさしさです。

自分で自分を優しいというのもおかしな話ですが、自分はこの「てめーの好き勝手やれ」的な優しさを持っている典型的な人間であると思います。

ただし、この優しさには欠点があります。相手に決定権を委譲することによって、暗黙裡に責任を相手に押し付けているという点です。「行きたいところどこかない?」と質問することは、相手に行きたいところを考えさせるという手間を相手に与えてしまっているのです。自分側はどこでもいい、というスタンスであったとしても、やはりその質問を投げかけられた側はそれなりの回答をしなければいけないとか考えてしまうわけです。

この優しさって、楽なんですよね。だって自分を押し殺してさえいれば、何にも考えなくてもいい。とりあえず相手に合わせてしまえば、自分から何かをする必要は一切ないわけです。

A「何食べたい?」B「なんでもいいよ」というやり取りがAにとって悩ましいものであるのは、Aがとりあえず相手に合わせようとして、相手の意見を聞いているときに、Bが「お前が考えろ」とカウンターしてきているからなのです。その点を踏まえると、この会話は次のように翻訳できるわけです。A「おい、何食べるか考えろ(何食べたい?)」B「てめーが考えろ(なんでもいいよ)」。

そんな相手に合わせる優しさに対して、相手を引っ張ってあげる優しさもあります。

「今度、おいしいラーメン屋さんに連れてってあげるよ」とか「あのお店に入ろうか」とか自分が何かを決定してあげることで相手に気苦労を負わせないというやさしさです。

女の子が好きな優しさって、俺が持っているような消極的やさしさではなく、2つ目に述べた積極的な優しさなんですよ(断定)。

積極的な優しさって、提案した本人が責任を取ることになりますから、もちろん提案された側は自分の思い通りになるわけではないですけど、相手に従えばいいだけですから気楽です。相手の提案が面白ければ最高ですが、そうではなかったとしても自分のせいではないですから、愚痴を言うことだってできる。

俺は優しいのに何でもてないんだろう……と思い悩んでいるそこのあなた。あなたのやさしさは、自分を守るための消極的なやさしさじゃないですか!?

他人に好かれるために、積極的な優しさを目指してみましょう!