アリとキリギリスのおかしなところ

どうもshigoroxです。

本日、ふと、アリとキリギリスの物語を思い出しました。真面目にコツコツ働くことの大切さを説いた寓話ととらえられるのが一般的かと思いますが、考えてみると妙なお話だなと思います。

あらすじは大体こんな感じ。あるところに、毎日遊び惚けているキリギリスと毎日せっせと働いて巣に食料を運んでいるアリがいた。周りに食べ物があるのにどうして働くのかとキリギリスはアリをバカにするが、いずれ冬が来て食料がなくなることを知っているアリはあなたも今のうちに食べ物のたくわえをしておかないと困りますよとキリギリスをたしなめる。やがて本当に冬が来て周りに食料がなくなると、キリギリスは飢えてしまう。アリのところに行って食べ物を恵んでくれるよう頼むも、夏の間遊んでたお前が悪いの一点張りで食べ物を分けてもらえない。キリギリスは途方に暮れるのだった。

アリとキリギリス イソップ物語 <福娘童話集 世界の有名な話>

食べ物分けてあげればいいじゃん、という指摘は別として(実際、自分が初めて聞いた時のアリとキリギリスではアリがキリギリスに食料を分けて、キリギリスが更生するという結末だった)、妙なのはたいていの場合働いているアリの描写が”苦しそう”なことです。

つまるところ、夏の間は苦しい労働に耐えることで冬の間、アリは生き延びることができたのだ……という演出なのでしょうが、そもそも労働が苦しいのであれば夏の間アリは死んでいたも同然で、冬を乗り越えられたとしてもアリに待ち受けているのは労働という厳しい現実のみ。労働の無限ループが続くわけですから、この物語はつかの間の快楽を得て死ぬか、それとも苦しい時間を延々と過ごして生きながらえるか、という不自由な2択を迫るダークファンタジー的な世界観を醸し出しているわけです。

もちろん、受け取る人によってはそういった厳しさこそが”現実”なのだととらえて、納得できるのかもしれませんが、これってあんまりじゃないですか? アリの生活って別に面白くなさそうなので働きアリになることのメリットって「死なない」だけです。死なないためだけに働くって奴隷じゃん。

アリが食べ物を分け与えるエンドではキリギリスもアリに教化されて働き始めますが、もちろんこれは何の問題解決にもなっていません。だって彼らは依然として働き続けなければならないのですから、ループから抜け出せていない。むしろ、キリギリスがループにハマった分不幸が拡大しています。

問題を解決するには①冬の到来を防ぐ(もしくは冬に食料を生産できる手段を得る)か、②働かなくても食料を蓄積できる仕組みを作るかの2択ですが、アリはそんなことを一向に考えもせず、ただ黙って働き続ける。お前らは高倉健か。単純に不幸の再生産を行っているとしか言いようありません。

苦しいことから逃げ続けてきたキリギリス的な自分ですから、アリの生き方に若干の疑問を覚えてしまいます。まぁ、寓話の設定にいちゃもんつけるのも野暮だとは思いますが……。

そもそも、キリギリスは普通に昆虫を食べますから、アリの巣を襲撃して、巣の中のアリを食い散らかしながら冬を乗り越えるという欲張りセットな生き方ができるわけですよね。なぜアリに拒否られた時点でキリギリスは略奪という選択肢を取らなかったのか? この点について考えてみると、文句を言わずにおとなしく引き下がったキリギリスって相当な紳士なのでは?

それに加えて、アリが働くのって自分のためではなく巣の中の女王アリのためですよね。ろくに働きもしないで男と遊んでばかりの女王アリのために働きアリはせっせと重たい餌を運んでいるわけです。結果的に働きアリは自分たちの社会の中にあるキリギリス的存在に搾取されてるんですよ。キリギリスを馬鹿にする前に、腐敗しきった自らの社会に目を向けるべきでしたね。彼らは革命を起こすべきです。

食料が無限にわき続ける環境の中でアリもキリギリスも毎日遊びまくって、冬も来なくなる。アリとキリギリスが目指すべき教育的なハッピーエンドってこれなんじゃないでしょうか。

……さすがに虫がよすぎるか